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アンビエントは、ちゃんと聴かなくてもいいのか。Brian Enoと吉村弘が変えた音楽との距離

好きなアルバムを流したのに、途中から考え事をしていた。気づいたら数曲が過ぎていて、どんな音が鳴っていたのか思い出せない。

音楽好きほど、こんな時間を少しもったいなく感じるかもしれない。せっかくの作品なのだから、細部まで受け取りたい。ながら聴きでは、作り手に申し訳ないような気もする。

ところが、聴き手がずっと集中していることを前提にしない音楽がある。耳を向ければそこにあり、別のことを始めれば背景へ戻っていく。アンビエントの面白さは、この距離の取り方にもある。

静かで、歌がなくて、眠れそうな音楽。そう説明すると、肝心なところが抜け落ちる。Brian Enoや吉村弘の仕事をたどると見えてくるのは、曲の特徴だけでなく、音楽を暮らしのどこに置くかという問いだ。

空港で、最後まで聴いている暇はない

Enoは2009年のABCのインタビューで、『Music for Airports』について、空港の利用者は曲の物語を最後まで追う状況にいないと説明している。搭乗の準備もあるし、アナウンスにも注意を向ける必要がある。そこで作りたかったのが、中断されても成立する音楽だった。ABC「The Music Show」本人インタビュー

これは、作曲するときの条件を大きく変える。

たとえば、静かなイントロから徐々に盛り上がり、最後のサビで感情が爆発する曲なら、その順番を経験することに意味がある。途中だけ耳に入った人には、助走の長さや、同じメロディーが帰ってきたときの感動が伝わりにくい。

空港では、その助走の途中で人が席を立つ。盛り上がる前に名前を呼ばれる。そういう場所に、必ず最後まで付き合ってほしい音楽を置くと、聴き手の事情と曲の都合がぶつかってしまう。

途中から入っても、途中で離れてもいい。そんな条件を出発点にすると、「展開が少ない」という特徴も違って見える。物語を追わせる代わりに、その場にいられる時間を作る。その設計としてアンビエントを考えると、刺激の少なさだけでは測れなくなる。

壁の絵を、ずっと見つめなくてもいいように

同じインタビューで、Enoは壁に掛かった絵を例に挙げている。人と話すために絵から目を離しても、絵に失礼なことをしたとは思わない。音楽にも、必要なときに注意を向けられる、そういう居場所を考えていたという。ABCの対話全文

この比喩を自分の部屋に置き換えてみると、わかりやすい。

窓際の植物を、一日中観察しているわけではない。それでも、ふと見たときに葉が光を受けていると、部屋の印象が変わる。見ていなかった時間にも、植物はそこにある。音楽にも、そんな存在の仕方があっていい。

ここで気になるのは、「無視できるなら、何を流しても同じでは?」という疑問だ。

むしろ、注意を戻したときに何があるかが大事になる。ずっと追わなくても、気になった音をきっかけに耳を近づけられる。背景に退けることと、細部がどうでもいいことは同じではない。

アンビエントを聴くときは、曲を覚えたかどうかだけで満足度を決めなくてもいい。数分だけ耳を澄ませた。そのあと読書に戻れた。その往復そのものを、ひとつの楽しみ方にできる。

吉村弘は、生活音のある家に音楽を置いた

日本の環境音楽に目を移すと、吉村弘の『Surround』が、この話をぐっと身近にしてくれる。

1986年1月にアルバムとして発表された同作は、ミサワホームからの依頼によって、住空間を豊かにするために制作された。再発元の解説には、吉村自身が、足音や空調、カップに触れるスプーンと同じように音楽を捉えることを提案していたとある。窓の外の街の音が加わることで、別の聴こえ方が生まれるという考えも示されている。Temporal Drift作品解説/Light in the Attic掲載

部屋の物音を完全に消してから、作品だけをきれいに鑑賞する。そういう順番とは違う。実際に暮らしている部屋の音があるところへ、録音された音が入ってくる。

ここから考えると、同じアルバムでも、台所と寝室では役割が変わりそうだ。台所では食器の音の合間に聞こえ、寝室では小さな響きに自然と注意が向くかもしれない。再生する場所は、作品を受け取るための単なる容器ではなくなる。

吉村の仕事は、アルバム制作にとどまらなかった。神奈川県立近代美術館の展覧会資料には、博物館、地下鉄南北線、横浜国際総合競技場の外周部などの音響デザインが紹介されている。音を鳴らすことと、人がいる場所を考えることが、つながっていた。神奈川県立近代美術館「吉村 弘 風景の音 音の風景」

Enoと吉村を、同じ理論の実践者として一括りにする必要はない。ただ、作品を聴き手の生活から切り離さないという視点で並べると、音楽に求めるものの幅が見えてくる。

『GREEN』に、自然音は必要だったのか

吉村の『GREEN』には、聴く版を意識したくなる話もある。

再発レーベルによれば、1986年発表の同作で吉村本人が好んだのは、日本の初回アナログ盤に収められたオリジナル・ミックスだった。米国では、効果音を加えたリミックス版のCDも出ている。Light in the Atticの再発盤は、そのオリジナル・ミックスを採用している。Light in the Attic『GREEN』公式解説

環境音楽という名前から、鳥や水の音が入っているものを想像すると、この違いは面白い。

自然の録音を足すことと、自分がいる環境の音を受け入れることは、別々の選択だからだ。録音された風景を部屋に持ち込む方法もあれば、部屋にすでにある音と、音楽が出会う余地を残す方法もある。

どちらが優れているかを決める話ではない。同じ『GREEN』でも、音源によって聴く条件が違うことを知っておけば、「自分が好きだったあの感じ」は何から来ていたのか、考える手がかりになる。

レーベルの説明では、同作はヤマハのFMシンセサイザーで作られている。自然を感じさせる音楽が、必ずしも自然の音をそのまま録ったものではないところにも、作る面白さがある。

作業を進めるためだけに聴かなくてもいい

「集中できる」「作業がはかどる」という使い方は便利だ。でも、それだけがアンビエントの価値だと考えると、少し窮屈になる。

EnoはElectronic Beatsのインタビューで、アンビエントの元の発想を、聴き手がしばらく何もしないための口実を作ることだったと説明している。仕事へと人を駆り立てる機能音楽に対して、逆向きの働きを考えていた。Electronic Beats「Stealing Time With Brian Eno」

ここは、今あらためて受け取りたいところだ。

音楽を流した時間に、何ページ読めたか。仕事がどれだけ終わったか。眠るまで何分だったか。そうした結果だけを求めなくてもいい。何もしないまま一曲が過ぎても、音楽との付き合い方として失敗ではない。

試すなら、『Surround』を部屋の小さなスピーカーから、自分が無理なく過ごせる音量で流してみたい。しばらく音楽へ耳を向け、そのあと普段のことをする。途中で気になる響きがあれば、また戻ってくる。

次は同じ音源を、落ち着いて細部を追うつもりで聴く。どちらが正しいかを判定するためではなく、自分と音楽の距離を変えるためだ。集中できない日を、作品のせいにも、自分の聴き方のせいにもしなくていい。

アンビエントは、ちゃんと聴かなくてもいいのか。

少なくとも、ここでたどった音楽には、ずっと注意を向け続けなくても楽しめるように考えられたものがある。音を追いかける時間も、背景に置いておく時間も、その人が選べる。

音楽好きでいるために、いつも熱心な聴き手である必要はない。ふと耳を戻したときに、まだそこにいてくれる音楽がある。それを知ると、好きな音楽と過ごす時間は、もう少し長くなる気がする。

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